元日本ハム投手岩本勉さんの高校3年の夏の地区予選大会辞退の実話本
久しぶりに泣いてしまいました。
大感動です。
文化放送の『岩本勉のまいどスポーツ』という番組を移動中に聴いてです。
移動中で周囲に人もいるので涙はこらえようとしましたが無理でした。
野球に真剣に取り組んだことがある人間ならば全員に知ってもらいたい内容です。
元日本ハムの岩本勉投手
『まいど』のフレーズでお馴染みの『ガンちゃん』こと岩本勉元投手。
1977年生まれ世代としては少し上の兄貴分という世代の方ですね。
日本ハムの先発の柱として一時代を築いた投手です。
プロ野球選手として野球ファンを沸かせてくれました。
記録としては通算63勝79敗3セーブですがそれ以上の存在感がありました。
そんな岩本勉さんのプロ入り前の話です。
阪南大学高等学校時代の地区予選出場辞退
岩本投手が大阪府の私立阪南大学高等学校3年生の頃の話です。
阪南大学高等学校といえば甲子園に何度も出場し、プロ野球選手を何人も輩出している名門校です。
当時、3年生の岩本投手はプロからも注目されている選手でした。
しかし夏の甲子園予選直前に下級生部員の不祥事が発生してしまいます。
地区大会のトーナメント表も出来上がっていてあとは試合を待つばかりだった彼らに衝撃が走ります。
不祥事が原因で阪南大学高等学校は夏の地区予選の出場を辞退しました。
翌日『岩本夏投げられず』という記事が出たようなニュースだったようです。
野球をやっていた人間ならわかると思います、それがどれほどのことかを…。
現に岩本勉さんは頭が真っ白になり放心状態にあったとコメントしていました。
本当に枯れるまで涙を流し、最後は涙が出なかったということです。
私はこの話は知りませんでした。
不祥事での出場辞退ということもあり、あまり語られていないのかもしれません。
でも実話として2013年に出版されていたようです。
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阪南大学高等学校時代の地区予選出場辞退後
出場辞退が告げられた後の野球部員は不完全燃焼のまま高校での野球を終えます。
3年間、いやこれまでの人生の大部分を野球に費やしてきた彼らはグラウンドに立つ機会を失います。
岩本勉さんは地区予選出場辞退を告げられた後の夏休み期間は野球部の仲間とは会えなかったそうです。
夏休みが明けて2学期が始まっても野球部員と野球の話はしなかったそうです。
それでも岩本勉さんはプロから注目される存在でしたので、ドラフト会議で指名される可能性が高い存在でした。
しかしながら岩本勉投手の心境は複雑です。
他の野球部員の手前もあったでしょう。
本来ドラフト指名を心待ちにするべきところ、いっそのことドラフトで指名されないでほしいと考えたそうです。
ドラフト会議後によく見る学校内での記者会見なども当初は『行かない』と学校側に伝えたほどでした。
指名されてもどんな顔で何を言えばいいのかわからないという心境でした。
そんな岩本勉投手の背中を押したのは他ならぬ阪南大学高等学校の野球部の仲間たちです。
指名前に会見場には多くの仲間たちが集まっていました。
『お前はプロに行け』
『俺たちの野球はお前に託す』
その会話は阪南大学高等学校が地区予選を辞退すると聞いてから初めて野球の話をした瞬間でもあったようです。
振り返ると史上最大の大豊作といわれる1989年のドラフト会議で岩本勉投手は日本ハムファイターズからドラフト2位で指名されます。
野茂英雄、佐々木主浩、佐々岡真司、与田剛、潮崎哲也、小宮山悟、古田敦也、前田智徳、新庄剛志、石井浩郎、西村龍次、種田仁、葛西稔、元木大介など歴史に残る名選手のなかでドラフト2位指名です。
日本ハムファイターズ入団後
日本ハムファイターズ入団後の活躍は野球ファンならば認知のところでしょう。
若い頃はイップスに悩んだ時期もあったようですが
『俺たちの野球はお前に託す』
という想いもあり乗り越えました。
1990年の入団から16年間、託された想いを背負って投げ続けました。
1989年の夏に有能な右腕が連投などで酷使されなかったことも長い現役生活の一因なのかもしれません。
引退後阪南大学高等学校の野球部の仲間たちは
『ありがとう』
岩本勉さんに伝えたそうです。
本来であればぜひ岩本勉さん自身の言葉で聞いていただきたい内容です。
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